ぐうたら妻とは私のことです。

バリキャリからの転落(天楽)日記

今宵のさみしんぼう

今日は暑かった。

家の中は28度過ぎてた。

それでも前の家より西日が入り込まない分

前よりはマシで驚いた。

 

今日は夫くんは珍しく飲み会に行った。

お得意先の社長さんと焼肉行くらしい。

 

ということで寂しい金曜の夜を少しでも自分を慰めるために

 

まずはエアコンを入れた。

 

夕方ギリギリまで扇風機でこらえたけど

ふと「今日夫くんは帰ってくるの遅いんだ」と思ったら

エアコンつけて快適生活してやる!って思った。

 

お風呂を早々にキレイに掃除して

ゆっくりとお風呂に入るんだ。

 

ご飯は昨日鶏とナスの南蛮漬けを作ったので

それに出し汁足してそうめんにすることにした。

 

ご飯もお風呂も片付けも洗濯もサッサと済ませて

一人快適ぐうたらな夜を過ごすんだ。

 

 

つまんないね。完全に。

 

その昔「亭主元気で留守がいい」なんていうCM流行ってて

うちのママもその時代の人なので

当たり前のように家にいるパパを煙たがっているけど

 

わたしはさ

夫くんと話しているのが一番楽しいんだよね。

昼間十分一人の時間は満喫しているので

どちらかというと

もう少し夫くんの家にいる時間が長めになってくれると嬉しいんだよ。

そうだね、8:2と言いたいところだけど

ちょっと遠慮して7:3かな。

もちろん7が夫くんが家にいる割合。

 

それくらいだとちょうどいいんだけどなぁ。

 

ドラマとか映画とか観てるとね

なんでも話せる女友達とかよく出てくるわけ。

 

ふとね

なんでも話せる女友達がいる人といない人って何が違うのかなって思うの。

答えは見当もつかない。

愛の大きさかしら。

 

恋人同士の愛はわかりやすいけど

友愛とか家族愛とか

もっと大きい括りの愛を理解している人

愛に豊かな人とか?

 

例えばわたしや夫くんって

なんていうかどこか絶対的な愛を求めているところがあって

極端に言えば「この人以外は何もいらない」くらいの濃さを持って初めて

相手を信頼するみたいなところがある気がするんだよね。

それはちょっとマフィアのファミリー的な絆の強さというか

この人の為に死ねるしこの人も死んでくれる覚悟がある

みたいなね。

 

ま、夫くんは実際のところどうかわからないけど

わたしに関して言えば

なんとなく昔からそういった濃さを持っていた気がするんだよね。

それは時に重さでもあったのかもしれない。

いわゆる若い頃であれば重い女とされてしまう類の。

 

実際たった一人居てくれればそれでいいと思ってたし。

そういうのってすごく愛の幅が狭いというかね。

 

だから夫くんとの出会いは本当に特別だったし

出会うべくして出会ったのかなとは思う。

 

あ〜そういうキレイな感じの意味じゃなくてね。

すごくピンポイントに狭くて粘り気のある感じ。

 

よくもまぁそのサイズ感がちょうどよくそこに居たなって感じなんだな。

 

それぞれ自分で選んで置かれた状況だから

きっとなんでも話せる女友達から何かを学ぼうとしている人

狭くて粘り気のあるパートナーから何かを学ぼうとしている人

意味があってのことなのでしょうけど。

 

そういえば昔、もっと自立した関係性にしないとダメだとか言われたけど

そういうの通り越してきて今ならハッキリ「クソ喰らえ」だし

「知るかボケッ」て思える。

 

だって狭くて粘り気の人にフラットにサラサラとしろって言われても

それって無理してるか嘘っぽくなるかだから。

 

結局そういうのって

「もっと突き抜けなさい」って解釈だと思うんだよね。

だから突き抜けてより一層狭くネバネバになったよ。

 

思い切っちゃうとめちゃくちゃ楽しくて

気が楽だね。

 

なんでも話せる女友達がいる人といない人の考察でもなんでもなくなったけど

つまり直せないものは突っ切るのみだねということかな。

 

さてお腹も空いてきたしそうめんでも作ろうかね。

 

夫くん早く帰ってこい。